なぜ今、このタイミングで、デザフェスに出ることを決めたのか。

そんなの勢い100%ですよ。(真顔)

稚園、小学校、中学校とよく絵を描いた。部活は美術部だった。しかし高校進学で急に演劇にシフトし、大学進学以降は以前に比べるとめっきり描かなくなり、マインドクラッシュを食らって中退してからはアナログで書くことすらしなくなった。ときどき誰かのお祝いごとで絵を描いて贈ったりはしたが、数年に一度程度。しかし描くたびに筆を取る楽しさに精神が高揚する感覚があり、写真での表現に舵を切っていたのもあり、また、何かしら表現をしたいとは思っていた。

さかのぼること12年前、初めて一般参加したデザインフェスタ33は実に楽しかった。開催当時(2011年春)は既に創作の場を名前変換小説・写真・ポエムに移していたが、デザフェス会場で様々な創作物に触れ、実物と作者を実際に見て、たいへんな刺激を受けたのは記憶に新しい。しかしそれと同時に打ちのめされたのも確かだった。自分の才能の限界を思い知らされた。ビッグサイト西館にひしめいていたのは種々雑多な才能たち。何年も本格的な創作から遠のいていた自分では、凡才のわたしでは、到底戦えたものではない。勝負にさえならない。実力の差を徹底的に思い知らされながらも、同時に創作意欲を掻き立てられ、その向き先がなく焦れた。正面から実力だけで戦うのでは勝てない。では、何かしらのイノベーションで戦えばいい。写真となにかを組み合わせた表現はできないか、デジタルではなく“実物”に価値のある創作とは何か、を考え、鬱を患い、しばらく筆を折っていた。まだ何も成し遂げていないというのにいきなり折った。

時は過ぎ、鬱と運がそこそこ好転したところで就職し、一人暮らしを始め、いろいろな世界と人を知った。システム開発に出会い、プログラミング思想に触れ、「こんな会社辞めてやる!!」と転職し、年収を上げ、住まいを変え、愛を知り、恋に破れ、雨に打たれ、冬の寒さに晒され、すっきりと晴れた青空に両手を広げ、差す朝日に目を潰された。辛酸を舐めた人生の中で、少しばかり収入に余裕が、部屋に広さが生まれた。久々に描いてみようか。時はゴールデンウィーク、時間もある。そうして画材店に走った。

実はデザフェス向けメインビジュアルを描く前に挑戦してみたいアートがあり、挑戦もしたのだが、習作がことごとく失敗し筆を折った。何度折るんだ、もったいない。まぁこの時点ではまだ筆使ってなかったんだけど。閑話休題。このとき挑戦したのはポーリングアートという、絵具の流れや偶然性を楽しむものなのだが、乾燥に時間がかかり、同居する猫の毛が混入しやすいこともあり断念した。「誰でも簡単に楽しめるアート」と称されることがあるのも理由だった。誰でもできるということは、オリジナリティに乏しいということだ。わたしの目指すものとは少し違う。

そういえばデザフェスの時期だったな、と気付き、数年ぶりに足を運んだ。以前より独創性が控えめになっているように感じた。それは時を重ね、見てきたものが増え、自身の引き出しが肥え、目新しさを感じにくくなったからだろうか。インターネットの普及でコンテンツに溺れているからだろうか。どれもが正解なのだろう。

結局、原点に戻ってくるものだ。かつて最も情熱を注いだ、キャンバスに筆と指でアクリル絵具を乗せるスタイルに帰着した。構図は、以前考えていた「イノベーション」から「テクノロジー」を引き、本人の技量への依存度を高めたものになった。翻すドレスに、青い景色、都心の夜景と大自然の天の川。対になる作品を、それなりの大きさで、時間をかけて向き合おうと思った。せっかく描くならお披露目してしまおうと、数年ぶりのデザフェス一般参加の熱をそのままに出展申し込みを送信していた。勢いというものは恐ろしい。だが時に、勢いに身を委ねなければどうにもならないこともある。かくして締め切りは決まった。

あー、つらかった。真面目に絵を描くの何年ぶりよ。なんか色の深み足りないし。ビル群の縮尺おかしいし。グラデーションにする前に乾くし。動画見ても全然あんな感じにならないし、何あれ魔法? しかし今回は筆を折らなかった。ずっとやりたかったことが、今、やっとできている。この機を逃したら、次はいつになるか。そして何より、やっぱり、楽しかった。綺麗な色が乗ったとき。美しいシルエットが引けたとき。狙った雰囲気が出てくれたとき。描いていて苦しいことの方が多い、ずっと多い。それでも、頭の中にあるものがキャンバスの上で具象化したときの快感には勝らない。「あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜」などと聞くに堪えない絶望ボイスを轟かせながら、甘美な快感が忘れられずに描き続けた。

初めてのデザフェスを目前にして、楽しみよりも恐怖が勝っている。直前に地震が来て作品が全部ダメになったら。申し込んでいたはずのものが手配されていなかったら。インフルやコロナに感染したら。ボコボコに批判されたら。誰にも見向きもされなかったら。しかし世に出す以上は「誰からも認識されない」ということはない。そして何より、「描いていて楽しかった」という、過去、確かにわたしの中にあった感情が嘘になることはない。かつて味わった快感と目の前にある作品が、わたしを前へと押し進めてくれる。

さてあと2週間。できることはすべてやろう。人生最初で最後のデザフェスかも知れないのだから。

デザインフェスタvol.58 出展します

ザインフェスタvol.58
2023/11/11-12 東京ビッグサイト
西館1F ブースNo.B-168

初出展します! ブランク10年の手描きアクリル絵画です。
大きいサイズの原画2枚(↑のもの)とポストカード、
それとA5サイズくらいの蝶々原画38枚(各5000円)、無料配布の名刺を頒布します。
見に来るだけでもぜひ! 遊びに来てください。

デジタル時代だからこそ、アナログで絵を描いた。

PCの登場、スマホの普及、サブスクサービスの台頭…… 世はデジタル時代。音楽はAmazonPrimeでいつでも聞ける。Instagramでイラストも絵画も見られる。YouTubeでいろいろな娯楽が見られる。知らない場所にもストリートビューで行ける。スマホひとつですべてが完結する時代、片手に収まる全世界。便利な世の中になった。
だからこそ。このデジタル時代だからこそ、わたしはアナログで絵を描いた。絵具の盛り上がり、平滑な画面、ギザギザとした筆の跡、ゆれる境界線。アナログ絵画には、作者の呼吸が宿る。筋肉の動きが境界線に現れ、心臓の鼓動が筆の跡になって残る。息を止めて慎重に絵具を盛り上げる、もしくは、一気に息を吐いて絵具を塗り広げる。血管を赤血球と酸素が駆け巡る、そうして動く指先の動きのすべてがキャンバスに現れる。どの角度からも鑑賞できる、環境次第でいくらでも表情を変えるアナログの魅力はそこにある。ビットに変換されない、作者の呼吸をそのまま宿す存在に触れたい、触れてほしい。だからこそわたしは、このデジタル時代に、アナログで絵を描いた。